こたつのざっき【シングルマザーの生活】

高校生の息子と暮らしています。シングルマザー4年目。

もう一度行きたい場所

お題「もう一度行きたい場所」

 

お題スロットをなんとなーく回したら、「もう一度行きたい場所」というのが出ました。

 

もう一度行きたい場所、それは、

 

ハワイ❗️

 

約5年前に社員旅行で行きました。

その頃はまだ離婚してなかったので、子供は元旦那に見てもらって行くことができました。

 

夜中便だったので、夕方、子供が学校から帰るのを待ち、ごはんを食べさせてから、私は成田へ向け出発。(かなり弾丸ツアー)

前日にハリケーンが過ぎたあとだったので、風が強かったのと、海が少し濁ってましたが、それでも海も空もキレイでした。

オアフ島のみだったのですが、ノースショアでゴルフして、パンケーキを食べ、買い物して、ステーキ食べて、海にも入れました(寒かったけど)

 

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▲ノースショアのタートルベイのゴルフ場。

コース途中のグリーンの反対側はこんな感じでした。


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▲迷いに迷って、やっとたどり着いたエッグスンシングス。4人て行って、4品頼んでしまうというありがちなパターン。食べきれず、テイクアウトしました。

そういえば、テイクアウトで分かってもらえたので、日本人慣れした店員さんだったのかも( ̄▽ ̄;)

 

ハワイは観光地なので物価高めというのは聞いてたんですが(当時、円安)、お土産代より食事代にかなりお金をかけてしまいました。しかし、一回行っただけで、ハワイ大好きになってしまいました。

帰国後、うちの本棚には、ハワイ関係の本増えました。

 

帰りは、朝一の便で帰国。

数人で乗り合わせて帰ってきたのですが、全員で

 

「ラーメン食べたい」

 

となり、帰国後はラーメンを食べました。

日本のラーメン、世界一うまいっ❗️

ほんとに美味しかったです。ハワイの食事も良かったんですけど、家系ラーメンのこってりがその時は胃にしみました。

 

ひとつだけ後悔したこと。

子供を一緒に連れて行けばよかったです。

平日だったし学校あるし、無理かな?と思って、私だけ行ったのですが、中学生の今の方が、旅行はなかなか行けないです。

受験が終わって、高校入学前がラストチャンスと思っているんですが、果たして、一緒に行ってくれるのかどうか。

海がキレイな場所に連れて行ってあげたいと思う今日この頃です。

確信した、きっかけ → 携帯電話

元旦那の浮気を疑うきっかけが、子供がぽろっと言った一言だったのですが、

 

kmamaei.hatenablog.com

 

そのあと、確信にかわった出来事がありました。

よくありがちだと思うのですが、私の場合も世間一般同様『携帯電話』でした。

携帯を肌身離さず持ってるとか、ロックをかけるようになった、とかが疑う第一歩だと思うのですが、私の場合はちょっと違います。

当時ガラケー全盛のころ、今のスマホみたいになんでもできるものではなかったですが、ネットでいろいろと探すのが好きだったので、曲を聴けるようにデータ変換したり、子供の写真をたくさん撮るためにSDカードの容量を多めのものにできるのかと調べたりと、携帯をあれこれいじりまくってました。

私は昔から小さい機械(ゲームウォッチゲームボーイ、電子手帳など)が好きで、いろいろと試すしたりするのが好きでした。携帯はその最たるものでした。

なので、今思うと携帯を触っている時間は他の人より長めだったかもしれません。ただ、フルタイム勤務で初めての子育てに四苦八苦していたので、夜はあっという間に子供と就寝だったので、夜は携帯をそんなに触ることはできずにいました。

 

ある日、いつものごとく、子供の寝かしつけで一緒に寝落ちしてしまったのですが、テレビの音で目を覚ましました。

夜中の何時かは覚えてないですが、テレビのある隣の部屋をのぞいてみると、テレビも電気もつけっぱなしで元旦那は寝落ちしていました。

またつけっぱなしにしやがって〜とイラっとしながら隣の部屋へ行ってみると、その手には、私の携帯が開かれた状態で握られていたんです。

 

一瞬、なぜ私の携帯???

何かで必要だったのかな?

 

と、思ったのですが、元旦那の手から自分の携帯を取って、真ん中のボタンを押してみたら、メールの画面!

そう、元旦那は私の携帯メールをチェックしていたんです。

 

たぶん、以前のきっかけがなければ、そこで勝手に見た❗️と怒って終わりだったと思うんですが、グレーな状態でモヤモヤとしていたので、怒りはすぐに行動へと移りました。

まあ行動と言っても、元旦那を起こして問い詰めるではなく、元旦那の携帯をチェックしただけですが。

 

携帯をチェックしたら、出てくる出てくる。

どんなものが出てきたのかは、次回。

ビールはやっぱり

お題「好きなビール」

 

お題で「好きなビール」

 

私が一番好きなビールは、バドワイザー❗️

キンキンに冷やしたバドは、飲み口が軽くて一番好きです。

いつくらいから好きになったのかというと、出産後。ある日、そろそろ断乳かなぁなんて思っていたら、ビールのCMを見て、ものすごーく美味しそうに見えたんです。息子はミルクと母乳の半々生活だったし、私も仕事復帰して半年ほどたっていたので、ちょうどいいかと思って、断乳

その時買ったのは、一番搾りバドワイザーでした。

お酒を飲むのは約二年ぶり。そんなに飲まないかなぁ?なんて思っていたら、二本をあっという間に飲んじゃいました❗️今でも不思議なのが、妊娠前、私はビールがほとんど飲めなかったんです。缶ビールなら半分飲めばいい方。

そこからは、普通に飲めるようになり、何ならそんなに好きじゃなかったお酒が好きになりました。

特に好きなのは、ビールと梅酒。梅酒なんて、妊娠前は全然飲めなかったのに、人体の神秘、ほんと不思議。

ほかに好きなビールは、ハートランド一番搾りオリオンビールなどです。

 

これから暑くなって、ビールが美味しい季節。今年こそ、ビアガーデンに行きたい❗️

 

#ビール #バドワイザー

 

うちの父

前々回の記事

 

kmamaei.hatenablog.com

 

で、少しだけ母について書きましたので、今回は父について。

 

父は一昨年の年末に亡くなりました。

67歳で亡くなったのですが、医療の進歩で長生きできる現代では、「67歳」はまだまだ若い方なんだな、と思います。

実際、私の周りの人達にも「まだ67歳だったんだね」という声が多かったです。

母の母(祖母)は大正最後の年の生まれで、現在93歳。足が悪くなってますが、元気にホームで過ごしているので、そう考えると確かに67歳は早いですね。

 

父は北関東の田舎の地主の次男坊でした。

そのせいなのか、それともただ甘やかされたのか、私の知る限りでは

 

ワガママ、自分が一番偉い、母はバカ、自分の言っていることは正しい、母は自分がいないと何もできないなどなど

 

いわゆるモラハラ親父でした。

私が車に興味を持ち、当時大好きだったF1のチケットを入手して、さてどうやって行こうかと考えていると、F1なんて行ってどうするんだ、お金の無駄だと散々言われました。

自分が知らないこと、知らない場所を言われたりすると、まず出てくる言葉が

 

「何言ってんだ、バカじゃないか」

 

とすぐに言う人でした。

 

自分が知らない=バカ(世の中に存在しない?)

という公式が頭にあったようで、F1自体は知っていても、鈴鹿サーキットに観に行くということが自分の知らないこと=体験したことがない=バカなこと、ということだったようです。

息子がサッカーを始めた頃に、母から「将来サッカー選手になって、テレビに出られるといいね」と息子が言われて「サッカー選手になる❗️」と宣言したら、父は

 

「何言ってんだ、なれるわけない。バカじゃないのか」

と、息子にまでいう始末。(この時、息子小学校一年生)

もちろん私は激怒し、父に説教です。自分の孫が将来の夢を言ってるのに、何をバカにしてるんだ、そんなこと言うお前がバカだ❗️と言うようなことを私が言い、しょんぼりしてました。

母も怒ってましたが、呆れ半分という感じでした。

今思うと、人の気持ちを汲むことができない、自分が一番先でないとガマンならない(買い物等してもレジで並ぶことができない人でした)、思ったことがそのまましゃべってしまうなどを見ていると、大人のアスペルガー症候群だったのではと思います。

父が亡くなって、母も日常を取り戻して落ち着いたころ、何気なく母にアスペルガー症候群について話してみたら、「なるほど!」と納得してました(^-^;

若い時のあの行動、言動を思うとそうかも、と笑ってました。

 

若い時はそうとう苦労していた母。

一度離婚して、それでも一緒に暮らして借金を返し、キレて泣き叫ぶ姿を見たこともありました。

年を取ってからは一緒に浅草見物に行ったり、近場へ食事に行ったりと、二人でどこかへ一緒に出掛けることが多かったように思います。

父は糖尿病から腎臓を悪くし、透析を受けるまでに病状は悪化して、最終的にはほぼ寝たきり状態でした。最期は病院で早朝に亡くなってしまったので、母も私も看取ることはできませんでした。

それでも父の人生は幸せな方だったんじゃないかな、と娘ながらに思います。

あれだけ暴言を吐かれ、やりたくない仕事を一緒にしていた母。子供の為とはいえ離婚をせず、最期の最期まで父を介護し、見送りもし、一緒のお墓に入るつもりとも今は言っています。

我が母ながら、すごい。

母の年代の人たちは【離婚】というのは、子供がかわいそうというのが、まだまだある時代でした。でも、離婚をせずに我慢する姿を子供に見られる方が、かわいそうなのではと思います。私の子供時代がそうでした。今でも思い出すのは、二人のケンカする姿です。

それに、私は元旦那と一緒のお墓に入る覚悟はありません(*´▽`*)

 

私が離婚したのは、父が亡くなって半年後だったので、父は知らないまま。

まあもし元気なうちに離婚するって言ったら、人の意見も聞かずに、元旦那か元旦那実家に電話しちゃってたでしょうね~。そして、引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、私に

 

「離婚なんかしない方がいいんじゃないか?」

 

とか言ってたんじゃないかなと思います。

きっかけ

私が結婚したのは、2004年。そして、離婚したのは2017年6月。

13年間の結婚生活でした。

今でいう授かり婚できちゃった結婚だったのですが、独身の頃の私はまったく結婚願望のない人でした。

今でこそ、子供大好き!と声を大にして言えますが、独身の頃は本当に子どもが苦手でした。虐待をするとは思えないけど、私が子供を育てることなんて、想像もできませんでした。

今は中学生になった息子を出産したとき、というか妊娠した時から、180度心境は変化。だんだん大きくなるおなかをさすりながら、来年の今頃はもう赤ちゃんとして産まれてるんだぁなんて思いつつ、何を着せようか名前どうしようかと不安ながらも楽しんでました。妊娠てすごい。

 

今でこそ、にっくき元旦那(笑)ですが、当時は頼るべき伴侶。

当時、仕事大好き第一主義だった私は、臨月ぎりぎりまで仕事をしてました。

 そして、元旦那は私の地元で当時トラック運転手(元旦那も同郷です)をしていたので、子供が生まれる直前までは、別居婚というやつでした。

車を買いたいというのもあって、ギリギリまで働き、お金を貯めるということで別で暮らしていたのですが、結果、私は良かったと思っています。いなくて不安というのもありましたが、自分のお世話だけで済んだので、今思えばほんと楽だった。

そして、産休→育休をへて仕事に復帰したのですが、仕事を続けてきたのも結果よかったです。出産前から同じ職場で今も働いてますが、今の会社で初産休した私も会社も右往左往しましたが、なんとか仕事を続けられています。(まあ、今じゃ労基に訴えられるだろうこともありましたが)

 

そして、復帰して一年くらいしたとき、息子のある一言で、私は元旦那に不信感をもちます。

当時、土曜日に出勤をすることがあり、土曜保育を利用したり元旦那に見てもらったりしていました。

その時は元旦那に子供を見てもらって仕事をしていました。元旦那は子供と二人きりでも特に問題なく、食事の準備もある程度はできる人だったので不安はありませんでした。

帰宅後に子供とお風呂に入りながら

「今日、何して遊んだ?」と聞いてみると、

「〇〇ちゃんとあそんだ」と。〇〇ちゃんとは女の子の名前で、当時、保育園組だったうちの子は同年齢の友達というのは保育園の子しかいませんでした。保育園であいさつくらいしかしなかったのでママ友も特におらず、さらに、自宅に呼んで遊ぶというほどお友達もまだいなかったため、〇〇ちゃんって誰だ?と私の頭の中は「???」だらけ。

夜、元旦那に「〇〇ちゃんと遊んだって言ってたけど、誰?おともだち?」と聞いてみると、急にむすっとして「知らない。そんな子と遊んでないし」と不機嫌に。

ますます「???」となったのですが、その日は特に問い詰めることもせず、買い物でも行ったときに誰かと会ったのかな?くらいにしか思いませんでした。

 

数日後の夜中、私は子供と先に寝ていたのですが、ふと目が覚めました。元旦那は隣の部屋でテレビを見ていたようなのですが、ぼそぼそと何かしゃべる声が襖越しに聞こえてきました。(当時住んでたアパートは、寝る部屋とテレビのあるリビングが襖一枚で仕切れるようになってました。)

トイレでも行こうかな、くらいに思っていて特に聞き耳をたてるつもりもなかったのですが、元旦那が誰かと電話をしていたようでしゃべっている言葉の中に「〇〇ちゃん」の名前が聞こえてきたんです。

知らないと言った〇〇ちゃんの話をしていると思って、息をひそめて聞いていると

「〇〇は元気?うん、そう・・・また行くから・・・」

みたいな会話が聞こえてきて、私は金縛り状態。

そのあとはどうしたか分からないですが、たぶん寝落ち?したのか、寝ようと努力したのか今となっては覚えていません。

 

それから私の元旦那への不信感は黄色信号から赤へまっしぐら。

〇〇ちゃんの存在を知ったきっかけでした。〇〇ちゃんについて詳細を知ったのは、それからしばらくしてからですが、今でも元旦那からはこの〇〇ちゃんと〇〇ちゃんのママ(たぶん元旦那の最初の浮気相手)については、詳細は分かりません。

離婚のきっかけはまた別なのですが、私に警笛を与えるきっかけになった人物でした。

 

ここから10年近くは我慢してしまったのですが、この時に問いただしておけばよかったのかどうなのか。今も分かりません。

一つ言えることは、この時の自分への警笛を信じてよかったのではと思います。

うちの母

今週のお題「母の日」

もう母の日も一週間をすぎましたが、今週のお題というのがあったので、書いてみることにしました。

 

母の日、今年もうちの母にはカーネーションの鉢植えを送りました。

あまり高価なものはあげられませんが、まあ気持ちが大事ということで、ネットで探して送りました。

母が暮らすのは北関東、私と息子は南関東なので、距離でいうと大体150km弱離れています。車で休憩いれずに帰ると(車を持っていた時は、高速ぶっとばして帰ってました)約2時間半くらい。

うちの母は昔、運転する仕事をしていたので「2時間くらいなら通えるのに」なんてよく言ってましたが、母の住む場所からだとどうしても都心を通るので、車で来させなくてよかったと思います。

 

今年送ったカーネーションはピンク色のものを選んで送ったのですが、変わった色らしく、気に入ってくれた模様。息子と選んだ(息子は色聞いただけですが)と伝えたら、ものすごく喜んでたみたい(^-^;

やっぱり孫パワーはすごい。

 

父はおととし亡くなったので、独り身の母ですが、近くに叔母さん(母の妹)が住んでいて、よく会ったり電話したりしているようです。叔母さんも同時期に叔父さんを亡くしているので、未亡人同士よく出かけているよう。女性は強し、というのはうちの母の家系にあてはまるのではと思います。

 

そんな母ですが、娘である私から言わせると、スーパーネガティブ。

物心ついた頃から、母は本当に心配性+マイナスに考える人っていう印象が強かったです。その割には天然でちょー適当!年を取り、孫ができてから、ネガティブな考えはだいぶ柔和されたように思いますが、本当に私の母親?と思うくらいネガティブ思考です。(私は基本ポジティブ思考、というか悪い方よりは良い方にとらえやすい)

 

そんな母も実は離婚経験者。

ただ、離婚したあともずっと父と一緒に住んで、一緒に仕事をし、一緒に借金を返してました。そう、母が離婚した理由が父の借金。

私も今はわけあって借金ありますが、父の場合は純粋にギャンブルで借金をしてました。

父は今でいう、モラハラ夫&経済DVをする人でした。

 

そんな父と一度は離婚し、再婚。そして最後は看取って、今では一緒に墓に入るための準備もした母。

若い頃の母の苦労を見た私からは、ちょっとどうしちゃったの!?という感じですが、母には母なりの考えがあったようで、父が亡くなってからいろいろと母の思いを知ることがありました。

 

そんな母と父、そして私の祖母の話はまた次回。

車の名義変更 → 名義の確認

 

kmamaei.hatenablog.com

 

前回のつづき。

 

離婚後、約束をしていたはずの車の名義変更が、一年たってもされず、さらに税金の納付書まで届いてしまう始末。

人前では使う言葉を選んで相手を不快な気持ちにさせないように気を使っていますが、元旦那にそんな悠長なことは言ってられません。

怒鳴りましたよ、最初のころは。

そして、税金の納付書が来た時も、久しぶりに(電話でですが)怒鳴りました。

しかし、これが相手の思うつぼ。私の先輩にも言われました。

『こたつからの連絡を待って、そういうことしてくるんだから、連絡してはいけない』と。

分かってはいるけど、頭に血が上るというのはこういうことなんだろうなぁと思います。自分ではあくまで正論を伝えているつもりですが、元旦那からしたら、自分を追い出したお前が悪いというスタンスがまったく隠されず見えるので、まあ腹の立つことこの上ないです。

 

車の保険も本当は解約したかったのですが、保険屋さん曰く、いろいろなトラブルを考えてまだ解約しない方がよいとのこと。これは弁護士さんにも言われました。

警察の方には事故を起こした本人に過失がいくといわれましたが、保険屋さんと弁護士さんの経験から、名義人へ事故の責任を押し付けてくる場合もあるそうです。一概には言えないけど、名義が変更されてから、保険は解約したほうがいいそうです。

 

そんな時に保険屋さんから、『最近、車乗りました?』と連絡が入り、乗ってないですよ(車ないので)と伝えたら、なんと保険の付帯サービスのレッカーを利用したようだとのこと!

もちろん、私は使ってません。

 

一年前のちょうど今頃(GWころ)に元旦那から、『車が故障して困っているから、助けてほしい』と意味不明なLINEが夜中の二時くらいにあったのを思い出しました。

もちろん寝てたし、なんで私が助けなきゃいかんのだ、とスルー。

そうしたら、勝手に保険の付帯サービスを利用したようです。古い車だったので故障も仕方ないとは思うけど、なぜ、勝手に保険のサービスを使うのか、そしてなんでいつまでも名義を変更しないのかと腹立たしく思っていました。

 

弁護士さんにお願いして間に入ってもらい、名義変更をさせようかと思っていたのですが、なんせお金がない!

元旦那に弁護士費用も請求すればよいのでしょうが、そういうことからとことん逃げるタイプと以前お世話になった弁護士さんから言われていたので、どうしようかと悩んでました。

お金と時間をかける相手でもないので、先に元旦那のお義母さんに連絡して名義変更するように伝えてほしいと電話したところ、『そういえば車が故障して廃車にしたみたい』とのこと。

(このお義母さん、かなり天然でよい関係と思ってましたが、現在はちょっとどうかと思う言動あるので、侮れない)

 

廃車になっていれば、私の名義でもなくなっているのでは!?

でも、どうやって確認すればいいのか。車検証を見ればいいんだけど、車検証の再交付をするのに陸運局(軽自動車の場合は軽自動車検査協会)に行かないといけない&手数料までかかる、ということで、ネットで探してみました。

 

【軽自動車を個人売買で売った時の名義変更の確認方法】

https://kanasys.com/essay/166

こちらを参考にし、私も軽自動車検査協会へTELしてみました。

電話に出てくれた窓口の方に『車を譲ったのですが、車の名義が変更されているかの確認をしたいです』と伝えて、車のナンバーと私の名前・住所を伝えました。

 

検査今日の方『お名前違いますね~』

私『えっ!?(私の名前)ではないですか?』

検査今日の方『違いますよ』

 

ということで、無事(?)に私の名義ではなくなっていることが判明しました。

 

根本的な解決(勝手に保険使ったり、約束守ってなかったり)はしていませんが、ひとまず、車の名義変更がされているということが分かり、この時はスッキリしました。

 

もし、車の名義の確認をしたいということであれば、この方法が一番簡単なのかもしれません。弁護士の先生にお願いするのも手だと思いますが、お金をかけたくないという目的は一応達成しました。